まみょうの雑談部屋

まみょうの中の人のぼやき

05.16.20'.

ある電磁気学の参考書を読んでいて思ったことがある。

 

話はgradについての項だったのだが、これが非常に分かりにくかった(、というか間違っている)。

 

この本は前項で曲線Cついて、曲線を

{Cは℟を含む,℟=(x,y,z) ; x=x(u,v,...),y=y(u,v,...),z=z(u,v,...)}

というベクトル関数で定義していた。しかしgradの説明の時に、線素d℟が等高線C上にある場合...線素d℟をC-C'間で角度θを付けて引いてみる...等と言い出したのである。

 

よくある話だが、勾配についてはz=f(x,y)として高さを与える関数を例に説明することが多い。おそらくC-C'というのはz=f,z=f+Δfそれぞれを指す位置ベクトルP:℟=(x,y),P':℟'=(x+Δx,y+Δy)のことであろう。そこで等高線としてz=f,z=f+Δfというような表記をし、fの微小変化Δfを与える際の線素(PP')とfの偏微係数(∇)との内積が最大となる時、∇は常にfの増加率が最大になる意味を与えるベクトルとして考えてもよいというオチである。

つまり、(ここでは2変数なので)線素の方向はPP'なのである。(ゆえに角度を導入する意味がある。)

 

だから、そもそもC-C'という表現が悪い。曲線を点の集合として表すために位置べクトル℟を導入したのに、いきなり一括して等しいf間のベクトル℟0,1,2,...k(k→∞)をまとめてCとしたせいで曲線が空間内至る所Pという位置ベクトルで表現されていることが霞んでしまっているのである。

 

また、線素d℟が等高線C上にあるのではなく、正確には線素d℟の始端がⅭ上に集まっているのである。曲線と曲線の間に角度を付けて引くという表現はここを読者が補完できなければ、かなり誤解を招くだろう。

 

私が思うに、この本の著者は内積最大を先に言うのを勿体つけて言いたかったのだろう。だが技術系の文書において結論を後に残し、前置きが長い文書ははっきり言って悪いものだ。冗長な表現は極力避けて単純明快に書き記すのが良い。加えて言うならば、技術文書を読む人間は、何かしら自分の知らない情報を知る為に読む。だから著者自身が分かっている順序で説明を記しても必ず伝わるとは限らず、混乱を招く可能性もあることを考えて書くべきである。

 

 

05.02.20'.

 去年後期は本当に終わっていた。正直廃人の域に達していたと我ながら思う。それは、自分の過去の文章を読み返しても変わらぬことだったなと。

 

なんだろう、何から話そうか。

そうだ、先ずは、環境を変えたことからにしよう。

今年春、訳あって引っ越しをした。あまり深くは言えないが、これが結構大きくてプラスに出た。色々なことが本当に変わって、整理もついて、よかったと思う。

 

また、メインブログのほうにも書いたが、今年の方針も今のところ順調である。それは私自身うれしい。もちろん学ぶことは多いし時間も必要だが、それは私のために費やせることなのだ。去年とは比ぶべくもないほどに。なんということもないのだが、こうして雑記を付けようと思い立ったのも、今の自分が落ち着いて生きているからだと思える。もう人が関わってくるのは御免だ。

 

漫研も辞めた。これも大きい。新しい部長さんはいい人だったが、この判断は正しいものだったと断定できる。あそこには何もない。あるのは、怠惰を貪り、狭い世界で低俗に笑っている屑の集まりだった。全員がそうであったかというと、そういうわけではないのだが、なんにせよ話ができたのは1,2人だった。まぁ、それも入ってみなければ分からなかったことなのだが。

 

大学の事だが、講義も必修が減り選択も色々考慮して決められたので、1週間のサイクルも良いものに設計できた。加えて、前期はついに念願の週休2日にできた。また、共同実習のような形態をとる講義もなかった。これでやっと、独りになれた。

 

 

ざっとこんな感じだ。他にもあるけど、とりあえずこれくらいでいい気がする。

 

 すこし、悲しい(という言葉では形容が間違っているけどそれしか表し方がわからないという)事もあった。

 

なんだろう、心が貧しくなってゆく人間を見るのは、苦しいな。

私の友はだいぶ変わってゆきつつある。理由は何となく分かっているからこそ、ここには書けない。別に私は懐古主義ではないが、どうだろう、道を分けて5年目。あいつはやさぐれてしまった。

 

向こうは、私が違う世界に生きていると、決めつけてしまっているようだった。というか、たまに話す度に、奴はそのことを自らに言い聞かせるような態度で私と距離を置く。私にはそれが分からない。もともと怠け癖があるやつだったが、それを棚に上げて私という存在を隔離することで、自我を維持しているとは…どうして自分と向き合えないんだろう。そうやっているうちは、いつまでたっても私のせいにできると分からぬのだろうか。

 

はっきり言ってしまえば哀れだが、長い付き合いだ、そう切れるものではないと分かっているだろうに。他人を気にするなよと、言いたい。『  』は人を変えられる。それを実感した。

 

 

12.2.19'.

少しくらい時間あるんじゃないのか?

自分でも何度もそう思った。

 

きっとあるって。だから絵を描けよって。

twitter一日の内で一度でも見る時間があるじゃん?

寝る前の30分とかあるじゃん?

朝も早く起きれば時間あるんじゃないか?

って。

 

でも無かった。どう考えても現実的に不可能だ。既にその時間は別で埋まっているのだ。もし私が絵を描いていたら、誰が私の代わりをできる?私にはやらねばならぬことが書き連ねることができないくらいある。その優先順位において絵は最低の部類に属しているのだ。

 

私にはやらなくてはならないことが、ある。それは終わりがなくて、でも死ぬまでに成し遂げなくてはならないことなんだ。

 

でも絵を描きたい。

11.11.19'.

分からない。どうやったら終わるのか?

 

 

昼夜逆転する。眠いときに寝られない。眠くないときに寝なくてはならない。そんなことできない。当たり前だ。眠くないときに寝られるはずがないのだから。

 

課題がきつい。物理実験のレポートの要求が、とてもじゃないが1週間で完成させられるものではない。なんで相対性理論まで読まなきゃならないんだ。どうしてだ。どうしてレーザーの基本理論まで理解してHe-Neレーザーについて考察しなくてはならないんだ。そんなの興味ない。好きなやつにやらせておけばいいじゃないか。苦しい。終わらない。加えて、実験は毎週あるから先週のレポートの修正・訂正、来週のプレレポートもやらなきゃいけない。1週間まるまる空いてるんなら、この量は適切かもしれない。だけどこっちは微積や線型、プログラミング、熱力学、電磁気、回路など腐るほどやらなきゃならないことがたくさんあるんだ。しかもそれぞれ課題や自主努力が特に必要なものばかりだ。ふざけるな。本当に苦しい。努力の限界値だ。集中力だって無限にあるわけじゃない。嫌だ。嫌、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌。

 

生きてる方が辛い。まわりは卑怯な人間ばかりだ。まともな人間などいない。

 

どうすればいい?どうすれば生きた方が良いと思える?

 

死んだほうがましな屑ばかりだ。自分で考えられないから他人に聞いたりついていってたりしてこそこそ楽しようとしてる汚い屑ばかり。そんな奴等のどこに正義がある?そいつらがどんな顔したって正論を言える訳がない。いや言うことなんてそもそも許されるはずがない。

 

どうすればいい?どうすればいい?どうすればいい?どうすればいい? どうすればいい?どうすればいい?どうすればいい?どうすればいい?どうすればいい?どうすればいい?どうすればいい?どうすればいい?どうすればいい?どうすればいい?

10.27.19'

世界は腐っていると思う。

 

不良品と分かっているのに、新品のラベルを貼って出荷する屑が大勢だ。

それで平気な顔をしている。

 

私の居場所はもうこの世界にないと思った。

この世界のルールに従えない以上、身を引くのはこちらだろう。

 

つまらん生だ。